「今日の『プレバト!!』、梅沢さん出るかな?」
「また情報番組で吠えてる(笑)」
今、10代・20代の若者にとって、梅沢富美男さんといえば「俳句がうまいご意見番のおじさん」というイメージが強いかもしれません。しかし、その姿は、彼の持つ数多くの顔のほんの一つに過ぎないとしたら…?
テレビでの親しみやすいキャラクターからは想像もつかないような、とんでもない経歴と実績を持つ、まさに「ガチの大物」であること、皆さんはご存知でしたか?
今回は、今の若者世代がきっと知らないであろう、梅沢富美男さんの「伝説」級のエピソードを5つ厳選してご紹介します。この記事を読めば、明日から梅沢さんを見る目が180度変わってしまうこと間違いなしです!
【伝説エピソード1】美しすぎて社会現象に!1歳7か月で初舞台を踏んだ「下町の玉三郎」

今の豪快なイメージからは信じられないかもしれませんが、梅沢さんのキャリアの原点は、息をのむほど美しい「女形」。その役者人生の始まりは、なんと1歳7か月という驚異的な早さでした。
芸能一家に生まれた梅沢さんは、物心つく前から舞台が遊び場。やがて女形として頭角を現すと、その妖艶な美しさは瞬く間に評判となります。そのあまりの美貌は、歌舞伎界の至宝・坂東玉三郎さんにたとえられ、いつしか「下町の玉三郎」という最高のニックネームで呼ばれるようになりました。
当時の人気は凄まじく、劇場には彼を一目見ようと女性ファンが殺到。公演が終わっても楽屋から出られないほどの熱狂ぶりだったといいます。テレビの面白いおじさん、どころか、当時はアイドル的な人気を誇る、大衆演劇界のスーパースターだったのです。
【伝説エピソード2】歌手デビュー曲『夢芝居』が国民的メガヒットを記録!

「俳句だけじゃなくて、歌も歌うんだ?」と思ったあなた。とんでもない!梅沢さんは歌手としても、日本の音楽史に残るレベルの成功を収めています。
1982年にリリースされたデビュー曲『夢芝居』。この曲が、文字通り社会現象レベルの大ヒットとなったのです。
「恋はいつでも初舞台」という有名なフレーズは、当時を知らない世代でも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
この曲はオリコンチャートで最高8位を記録し、売り上げは50万枚を突破。
TBSの『ザ・ベストテン』などの人気音楽番組にも毎週のようにランクインしました。
この大ヒットを受け、1983年末には、すべての歌手が夢見る大舞台「NHK紅白歌合戦」への出場も果たしています。
俳優業で頂点を極めながら、音楽の世界でもたった一曲で国民的スターの仲間入りを果たしたのですから、その才能の幅広さは計り知れません。
【伝説エピソード3】年収25億?一座を率いる「座長」としての経営手腕

タレントとしてのテレビ出演料も相当なものでしょうが、梅沢さんの収入の柱は、自身の劇団「梅沢富美男劇団」を率いる「座長」としての興行収入です。
一座のトップとして、脚本、演出、主演、そして経営のすべてを背負うのが座長の仕事。梅沢さんは、年間100ステージ以上もの公演をこなし、全国を飛び回っています。
その人気は絶大で、チケットは即完売することも珍しくありません。
過去にはテレビ番組で、最も稼いでいた時期の年収が「25億円」だったと明かしたことも。
これは単なるタレントとしての人気だけでは到達できない金額です。
数十人の劇団員とその家族の生活を背負い、巨大な組織を動かし、興行を成功させ続ける。
梅沢さんは、優れたアーティストであると同時に、シビアなビジネスの世界で結果を出し続ける超一流の経営者でもあるのです。
出典:https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/2469746/
【伝説エピソード4】故郷のために自らトラックを運転!知られざる支援活動

テレビでの「キレキャラ」や「ご意見番」としての厳しい発言が注目されがちですが、その裏には、誰よりも情に厚い素顔が隠されています。
その人間性が最も現れたのが、2011年の東日本大震災の時でした。
福島県出身の梅沢さんは、故郷が未曾有の被害に見舞われたことに心を痛め、すぐさま行動を起こします。
なんと、自ら4トントラックのハンドルを握り、支援物資を積んで何度も被災地へ向かったのです。
避難所では、劇団員と共に温かい豚汁を何千食も作る炊き出しを行い、被災した人々を励まし続けました。
「売名行為と言われても構わない」と語り、黙々と支援を続けるその姿は、多くの被災者に勇気を与えました。
テレビで見せる厳しい表情の奥には、故郷と人々を想う、どこまでも深く、温かい愛情があるのです。
【伝説エピソード5】「浮気のプロ」から「愛妻家」へ…妻・明子さんへの一途な想い

かつては「浮気は芸の肥やし」と豪語し、プレイボーイとして名を馳せた梅沢さんですが、現在の姿は「超」がつくほどの愛妻家。
その変貌ぶりもまた、彼の伝説の一つです。
奥様は、植物療法の第一人者として活躍する池田明子さん。自身のスクールを運営し、何冊も本を出版している才媛です。
梅沢さんはそんな明子さんにベタ惚れで、「離婚しようなんて思ったこと一度もない」と公言してはばかりません。
出典:
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/08/21/kiji/20170821s00041000216000c.html
多忙な日々を送りながらも、夫婦の時間を何よりも大切にする。
それは、自立した一人のプロフェッショナルである明子さんへの、深い尊敬と愛情の証でしょう。若
い頃の豪快な伝説を知る人ほど、一人の女性を心から大切にする現在の姿に、人間・梅沢富美男の本当の魅力を感じるのかもしれません。
まとめ
- 「1歳7か月で初舞台を踏んだ美しきスター」
- 「国民的ヒット曲を持つ歌手」
- 「年間数十億を稼ぎ出す経営者」
- 「故郷のために奔走する情に厚い人」
- 「妻を深く愛する一途な夫」
いかがでしたか? これらはすべて、梅沢富美男さんという一人の人物が持つ、紛れもない事実です。
私たちがテレビで見る姿は、長い長い芸歴の中で培われた、ほんの一面に過ぎません。その背景には、計り知れない努力と才能、そして人間的な魅力が詰まっています。
次にテレビで梅沢さんを見かけたら、ぜひ今日の伝説を思い出してみてください。きっと、彼の発する一言一言の重みが、これまでとは全く違って感じられるはずです。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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